河堀稲生神社


基本情報


 

名称: 河堀稲生神社

読み方: こぼれいなりじんじゃ

御朱印: なし

限定御朱印: なし

ご祭神: 《主》宇賀魂大神, 崇峻天皇, 素盞嗚尊

創建時代: 景行天皇時代

創始者: 逆輪井

本殿: 権現造

札所など: 四天王寺七宮

 

歴史


古代、景行天皇の時代(西暦99年)、この地は当時昼ヶ丘と呼ばれ、そこには稲生の神を祀る神社が最初に建てられました。聖徳太子が四天王寺を建立する際には、その社殿が造られ、崇峻天皇もここに合祀され、四天王寺七宮の一つとされました。

ただし、小儀神社、土塔神社、上之宮神社の三社は明治四十年(1907)に大江神社に合祀され、小儀神社などは記念碑だけが残されました。

また、続日本紀によれば、延暦7年(788年)3月、摂津大夫・和気清麻呂が、農業振興と水害防止を目的に、摂津国と河内国の国境に河川を築いて大規模な土木事業を提案し、工事の安全を祈願しました。この工事により、周辺の地名は古保礼から河堀と改まりました。

江戸時代初期には片桐且元の寄進により、壮麗な権現造の拝殿に改築されました。元禄2年(1689年)には素盞嗚尊を勧請し、合祀されました。そして、1907年(明治40年)には大阪城内の屋敷の鎮守であった清水谷の稲荷神社を合祀して、現在の社名に改まりました。それ以前の社名は、江戸時代の古地図では「崇峻天王社」とされています。

1945年(昭和20年)の大阪大空襲で江戸時代からの壮麗な社殿が焼失し、現在の建物は1950年(昭和25年)に再建されました。

氏子区域は天王寺区大道二丁目から五丁目、北河堀町、南河堀町、東成区南生野町自一丁目至五丁目、林寺町、林寺新家町、生野区田島町の一部、住吉区天王寺町(旧天王寺村一円)です。

二重氏子は住吉区天王寺町で、文の里から八間道路まで、旧天王寺村の南部方面にまたがります。

参考資料:関西大学なにわ・大阪文化遺産学研究センター 神社を中心とする村落生活調査報告

本殿


本殿には以下の主祭神を祀っています:

 

・宇賀魂大神(うかのみたまのおおかみ)

・崇峻天皇(すしゅんてんのう)

・素盞嗚尊(すさのおのみこと)

 

昭和二十五年(1950)に再建されました。

櫻樹神社


河堀稲荷神社 境内社、豊臣秀吉公、倉稲魂神(うがのみたまのおおかみ:お稲荷さん)を祀っています。

若宮八幡宮


拝殿の左に境内社、若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)があります。

 

ご祭神は應神天皇(おうじんてんのう)とその子・16代仁徳天皇(にんとくてんのう)を祀る。 和気清麻呂公(わけのきよまろ)も祀られているとされています。